カンボジアの高金利預金よりドル建て新興国債券の方が投資先として良い理由

金融

カンボジアには、米ドル建てで高金利がもらえる預金制度があります。

金利は銀行により異なりますが、概ね5~6%程度と昨今の低金利環境下では魅力的に思えます。

一部の人の中で流行っているのか、ネットで調べるといくつものカンボジアの高金利預金を紹介するサイトがあります。

このカンボジアの高金利預金は本当に魅力的なのでしょうか?

ここでは、カンボジアの高金利預金のリスクと共に、より商品性として魅力のある新興国債券をご紹介します。

カンボジアの高金利預金の特徴

魅力

この預金の魅力は、

  • 信用力の低いカンボジアリエルではなく、信用力の高いドル建てで預金できる
  • 信用力が高いドル建てにも関わらず、高金利(5%~6%程度)が得られる

という点です。

リスク

しかしながら、魅力があれば、もちろんその逆のリスクもあるわけです。

簡単に挙げると、

  • カンボジアの銀行に預けるため、銀行が破綻したら預金は戻ってこない(当然ペイオフ対象外です)

カンボジアという新興国にも入らない国の、1つの銀行の信用リスクを負うことになる

  • 高金利を得るには、1年や2年といった定期預金にする必要がある

⇒流動性の問題が生じる(引き出したいときに引き出せない

  • 手続きが面倒(カンボジアの銀行の口座を開設したりする手間がかかる)

といったところです。

つまるところ、高金利の裏には信用リスクと流動性リスクと手続きコストがあることになります。

高金利の背景

こうした風変わりな投資(預金)を考える際には、なぜこのような金融商品が存在するかその背景を押さえるとすっきりしてきます。

信用力の補完として米ドルを使用

まず、なぜカンボジアの銀行はドルという信用力の高い通貨での預金を集めるのでしょうか。

これは裏を返すと、そもそもカンボジアリエルという信用力の低い通貨では、お金を預けてくれる人がいないからです。

そのため、通常のドル建ての金利よりも、より高い金利を設定し、投資家(貯金者)を集めようとしているのです。

定期預金という固定リスク

また、基本的に預金の形態が定期預金であることは、すぐに預金を引き出させないようにするための方策です。

つまり、投資家からすると、流動性を犠牲にすることで高金利を得られることになります。

また、定期預金に預けることは、その銀行に何かあった場合もすぐに引き出せないリスクも負っていることになります(信用リスク)

既にドル建ての高金利債券は存在する

ドル建ての新興国債券

実は、米ドル建てで高金利の金融商品は他にも世の中に存在します。

その代表例が新興国の発行するドル建ての債券です。

多くの新興国はその信用力の低さを補うため、ドル建てで債券を発行しています。

そしてこの新興国のドル建ての債券をインデックス化し、そのインデックスに追随するように設計されたインデックスファンドが既に存在します。

インデックスファンドであれば、手間がかからず投資できる

例えば、野村アセットマネジメントや三井住友アセットマネジメントがドル建ての新興国債券へ比較的低コストで投資できるファンドを提供しています。

これらのファンドの利回りは相場環境にもよりますが、ここ数年は概ね5~6%程度で推移しています。

投資信託なのでコストがかかりますが、仮に1%のコストを差し引いても、カンボジアの高高金利預金と遜色ない利回りが残ります。

また、様々な新興国の債券をひとまとめにしているため、信用リスクは存在しますが、そのリスクは分散されています。

購入の際は、証券口座をお持ちの方であれば、クリック数回で済みます。

もちろん為替の両替などは必要なくファンドの購入ボタンを押せばいいのです。

また、投資信託ですので、いつでも解約ができ、数日後にはキャッシュとして手元に戻ってきます。

ただし、債券への投資のため、預金とは異なり価格変動リスクは存在します。

まとめ

以上をまとめると、カンボジアの高金利預金に投資するくらいなら、ドル建ての新興国債券ファンドを購入した方がはるかにお得という話です。

正直なところ、カンボジアの預金の方が優れている点を見出すことができません。

一方で、ドル建ての新興国債券の方が優れている点は以下のようになります。

  • 複数の国への投資のため、リスクが分散されている(カンボジア預金よりリスクが低い)
  • 利回りはカンボジアノ高金利預金とほぼ同程度
  • 手軽に買うことができ、解約もいつでもできる

私にはカンボジアの高金利預金に投資する人は、わざわざ手間暇をかけてカンボジアに口座を持つことに達成感を感じるマゾヒストな人くらいにしか感じられません。

それはそれで達成感を感じられるのであれば大いに意義はあるのかもしれませんが。